IAMAS Graduate Interviews

INTERVIEW 041

INTERVIEWER 赤松正行 IAMAS教授
#2025#AKAMATSU MASAYUKI#MEDIA ART#XR

GRADUATE

守下誠?ばいそん

xRエンジニア/2022年修了

イマココにあるシンタイの冒険

広告代理店でソフトウェアエンジニアとして勤めながら、xR(AR/VR/MR)領域で制作と研究を続ける守下誠(ばいそん)さん。修士研究でAR技術を用いたアプリケーション制作を行なった守下さんが考える、「いまここ」の「身体で遊ぶ」技術のあり方とは。守下さんの指導教員であった赤松正行教授が聞きました。

今、そしてあの頃

赤松:守下さん、こんにちは。久しぶりですね。最近はどうしていますか?

守下:ご無沙汰しております!IAMAS卒業後、広告代理店でソフトウェアエンジニアとして勤め始め、もう2年が経ちました。メインの業務としては、「広告撮影用のバーチャルプロダクションスタジオにおける撮影シミュレーションシステム」の開発を行っています。
本業でエンジニアとしての学びを得る一方で「それをいかにして自分のためのものづくりに活かすか」も意識して暮らしています。「本業と個人制作の両立」は、やはり一筋縄ではいかず試行錯誤の日々ですが、最近はありがたいことにいくつかの制作の機会をいただいています。
Apple Vision Pro の技術書籍を共著で執筆したり、虎ノ門ヒルズを舞台にした都市スケールのAR展示に参加させていただいたり、「やまなしメディア芸術アワード」関連企画のAR/VR実装を手伝ったり…。IAMASでの制作の延長を、いろいろな関わり合いの中で少しずつ実践してみているところです。

赤松:IAMASでの修士研究であったAR(拡張現実感)を、さらに展開しているわけですね。このような取り組みに至る流れを話してくれますか?

守下:学部の卒業時に、「結局自分の専門分野ってなんだろう?」と悩み、その後IAMASでxR(AR/VR/MR)領域に着地した、という経緯です。
学部の頃(九州大学芸術工学部)の卒業制作では、「スマートフォンが捉える世界」を視覚化するための実験をいくつか行い、一つの作品としてまとめました。見返すと拙い箇所が目立つものの、高専から九大時代にかけて学んだものづくりの技術(電子工作、デジタル?ファブリケーション、クリエイティブ?コーディング、アプリ開発など)を詰め込んだ作品となっていて、その点ではある種の集大成として満足のいくものになったと、当時は感じていました。
しかし同時に、「ただの自己満足になっていないか?」という感覚も拭えませんでした。「いろんな方法でものを作れるようになったのは良いけれど、じゃあこれを使って社会に何を提供できるだろう。今後、どの分野の人として世の中と向き合えば良いのだろう。」という。もともとはそのまま九州大学の大学院に進学する予定でしたが、前期受験でIAMASに合格していた同期の武部くんや、芸術工学部で音響学とメディア?アートを専門とされている城一裕先生にIAMASの話を伺ったのがきっかけで、「ここなら答えが見つけられるかも!」と感じ、後期でIAMASを受験して入学に至りました。

赤松:それは結構大きな転換かもしれない。何故ここなら答えが見つかると思ったのでしょうか?

守下:「一度自分の中の常識をリセットして、多様な領域の考え方に触れ、道に迷いながらも自分の専門性を言葉にしていくための時間と場所が、IAMASにはある。」といった旨の説明をいただいたからです。もちろん、「だからこそ卒業するのに時間がかかってしまう人も多い」という話も込みでしたが。当時の僕としては、時間がかかってもいいから、より混沌とした環境に身をおいて、なるべく相対的に自分のことを捉えたい、という思いから飛び込んだんだと思います。実際、卒業までに3年かけることになりましたね…。

「傑作」の作り方

赤松: ?入学して間もない頃に「僕は傑作を作ります」と言ってたよね?

守下:「僕は傑作を作ります」発言、懐かしいですね…(笑) 先述したような悩みを解決するため、わかりやすい目標として「在学中に自身の代表作を作るぞ!」という意気込みが生じ、M1のはじめの頃に赤松さんと山小屋で面談する中で、そういう宣言をしたように記憶しています。卒業するまで赤松さんとの面談の中では「傑作 / マスターピース」という言葉がスローガン的に繰り返されましたね。
自分の専門性を探って「代表作づくり」に向かっていく、という目標に対して、IAMASでの生活環境は前評判通りとても合っていたように感じます。入学後、多様なバックグラウンドをもつ同期と言葉を交わす過程で、自分は「フィジカルなもののテクスチャや存在感が好きだし、一方でデジタルなものづくりのフットワークの軽さも好き」なんだということがよくわかってきたんです。そこで、指導教員が赤松さんだったこともありAR技術を用いた制作に力を入れてみたところ、どんどんのめり込んでいき、そのまま修士研究へとつながっていきました。

赤松: ?その傑作がARama!ですね。どのようなアプリなのか紹介してください。

守下:《ARama!》は、身体(からだ)をコピペして遊ぶARカメラアプリケーションです。カメラに映る人物を認識して、増殖させたり、宙に浮かせたり、壁にめり込ませたりして、目の前の空間を装飾できます。

《ARama!》


「現実の人や物を組み合わせて遊べたらおもしろいよな?」という根本のアイデアは学部時代から頭にありましたが、ちょうどIAMASに入学した頃にiOSのARKitで人物の輪郭検出ができるようになり、身体を使って遊ぶデモがSNS上でいくつか共有されていたのを見て、自分でもやってみたいと思っていました。
そんな折、M1のプロジェクト実習として参加していた「移動体芸術」にて「”養老アートピクニック2019”で展示する作品を作りましょう」というお題が出され、養老天命反転地の不思議なロケーションと、身体をコピペする視覚表現は相性が良さそうだ、と思い《ARama!》のプロトタイプ開発に取り組みました。
このプロトタイプの映像をTwitter(現X)に投稿したところ、ありがたいことに1万件を超える「いいね」をいただいたり、それをきっかけにミュージックビデオのAR演出実装のオファーをいただいたりなど、想像していた以上の反響を得ました。

King Gnu – どろん(AR演出の実装を守下が一部担当)

そこで得た手応えに背中を押してもらいながら、その後の修士研究が進んでいきました。希望者を募ってAdHocでアプリを配布して意見を求めることも行いましたし、M2の9月にはArs Electronica Festival “The Wild State: Networked”にリンツ美術工芸大学の姉妹校枠として展示させていただき、M2の10月には多言語対応アプリとしてApp Storeにリリースしました。

赤松: ?プロトタイプの段階で早くから世に問うたのは、とても良かったと思う。フィードバックをどのように捉えて表現や機能に反映しましたか?

守下:先述のTwitter投稿に対しては「TikTokと相性が良さそう!」「アニメのこのシーンが再現できそう!」などの反応が見られ、ネットミームやUGC、縦型動画共有文化との相性の良さが伺えました。そのため、アプリの設計時にはInstagramやTikTokのデザインを参照し、手軽なコンテンツ作成体験のためのUIを実装していきました。とはいえ、《ARama!》で目指したのは2D画面上だけでは完結しない3D空間的なコンテンツ配置体験だったため、既存のUIを踏襲しただけではなかなか使いやすい操作にたどり着くことはできず、頭を悩ませました。現在も満足いっていない部分が多々あり、こっそりとアップデートの機会を伺っています。
デモ段階で多くのフィードバックをいただけたのは幸運でしたが、その反面、「デモ映像に良い反応をもらうこと」と「実際にアプリを使って楽しんでもらうこと」の間には大きな壁がある、ということも痛感しましたね。SNSの反応や国内外での展示経験から、《ARama!》における身体を素材にしたコンテンツ体験が、言語によらず老若男女広く楽しめるものになると感じていましたが、その強みを活かすためには、いかに「直感的な操作」を実装できるかが鍵でした。展示空間で無邪気に身体を動かしながら遊んでくれた子どもたちの手元をよく観察し、「ほんとうはこうやって遊びたいんだな」という要素を拾ってUI実装に活かす、というトライアンドエラーを地道に繰り返しましたが、ここも一筋縄ではいかず…。見返すと課題として残っているところはたくさんあるものの、最終的には、ひとまず開発者のサポートなしでも遊んでもらえるレベルまでなんとか持っていくことができました。

遊び戯れる研究

赤松: 研究云々抜きに楽しいアプリになりましたね。それでは逆にARama!を踏まえて、どのような研究として位置付けましたか?

守下:アプリ自体は着々と楽しいものになっていった一方、研究としてまとめる際にはだいぶ苦しみました。開発を進める過程で「遊び」「ツール」「身体性」「UGC」などいろんな研究テーマが見えてきましたが、自分の知識の及ぶ範囲を超えて風呂敷を広げすぎてしまい収集がつかず、迷走した時期が長かったです。
最終的には《ARama!》の「場所と身体を組み合わせて即興で遊ぶ」構造に注目し、これによって生じる「老若男女、言語によらず、共に”今ここ”を楽しめる」という特徴に価値を見出しました。そして同様の特徴をもつ遊びとして、強制遠近法を用いた「トリック写真撮影」を取り上げ、このような体験をアップデートするものとして《ARama!》を位置づけました。
研究の概要としては、まず《ARama!》によって生じた遊びの様子をSNS上や体験会を通して収集し、その遊び方を分類して、既存の「トリック写真撮影」におけるいくつかの物理的制約を克服していることを示しました。そのうえで、幼児 / ご年配の方 / 外国の方 / 初対面同士など、さまざまな組み合わせのユーザーによる遊びが生じていたことや、最長で2時間も熱中し試行錯誤したグループがいたこと、予想外に身体のパーツを用いた「見立て」の遊びが生じたこと、など《ARama!》による遊びの特徴的な事例をまとめました。最後に、《ARama!》が提供する遊びによって、身体活動を通した豊富な共有体験が生じ、共同体としての達成感や喜びを得ることにつながる旨を述べました。また、その先に生じるかもしれない「自分や友達が登場するARコンテンツを不特定多数に共有する」というコミュニケーションの可能性についても考察しました。

赤松: イン?カメラは使えないので自撮りは想定していないわけですよね。その上で、撮影者と被写体のコミュニケーションと、撮影された映像をSNS等で共有して生まれるコミュニケーションの2種類があります。なぜ両方を扱おうとしたのでしょうか?

守下:自撮りでの人の切り抜きは実装しきれませんでしたね。一部構想としてはありましたが、いずれにせよ「黙々と一人で楽しむ」ことよりは「誰かとお互いに撮り合って楽しむ」ことに重きを置いていました。
そしておっしゃるとおり、アプリ体験時に生じる「同期的なコミュニケーション」と、できあがったコンテンツをSNS等で共有する際の「非同期的なコミュニケーション」で分けて考える必要がありましたが、在学時の《ARama!》を用いて検証できたのは前者のみでした。にも関わらず、論文の考察では後者にまで言及したため、結論が少々ごちゃついてしまいました。書き直したいポイントの一つですね…。とはいえ、それでも「非同期的なコミュニケーション」についても書きたいと思ったのは、《ARama!》の開発を始めた当初からずっと、「立体UGCが共有される社会」への興味が僕の中で膨らんでいたからでした。
現在のSNS上で気軽に「写真」や「動画」を共有できるのと同じように、いつか「立体コンテンツ」を自分で作って、遠くの人と見せ合えるようになったとき、人はどのように遊ぶのか、どのように感情を共有するのか、ということに興味があります。これは卒業後の個人制作における軸の一つにもなっていて、満足のいくものはまだできていないものの、《ARama!》の派生作品をコツコツ作りながら、ほんの少しずつ自分なりの答えに向かっているつもりです。

来るべき世界

赤松: なるほど。未来を想定して来るべき社会のプロトタイプとして作品を制作するのは良いですね。UGCとしてはウケ狙い的な機能を意図的に外していましたね。その辺りの考えも聞かせてください。

守下:初期の《ARama!》には、身体の切り抜きを自由に組み立てて遊ぶ「編集モード」と、簡易的に視覚効果を楽しむ「エフェクトモード」がありましたが、論文執筆に向けて「エフェクトモード」を廃止した経緯がありました。
廃止した理由は、提供者側で「遊びの幅」を指定しすぎてしまっているように感じたからです。《ARama!》を開発していて楽しかったのは、ときどき「そんな遊び方があったか…!!」という感じで開発者も意図していない遊び方に出会える瞬間でしたが、「エフェクトモード」にはそれがほとんどありませんでした。当時、映像作家の橋本麦さんがご自身のブログで、目的に関知しすぎないデザインツール哲学について語られており、それに触発されて俄然「編集モード」開発のほうが面白くなった、という心の動きもありました。
また、「新規性」を主張することが難しかったことも理由の一つでした。「エフェクトモード」で提供していたような体験は、その当時すでに主要なSNSにおける動画フィルターとして見かけられるようになっていて、「どこかで見たことある感じ」が否めませんでした。当初は、見たことある体験を入口にして「編集モード」にいざなう狙いもありましたがそんな風に機能している感じはしなかったので、別アプリとして作ればいいか、と思ってあっさりやめることにしました。

赤松: 研究としての作品制作というアプローチですね。このことを含めて効果測定、さらには作者のエゴをどのように考えましたか?

守下:IAMASにおける「研究」は、作者のエゴによって生まれた作品を人類の歴史や社会構造に対してどのように位置づけるか、その結節点を見つけて主張する営みだと、個人的には理解しています。言葉では表現できない思いや興味から作品を作るけれど、それをあえて言葉で説明しなおすことで初めて他者に向けて翻訳できる。だからその根拠たりうる効果測定がいる。当時の僕はまだまだ《ARama!》について客観的な視点を持ちきれていなかったので、何を測定して何を示せばいいのかがピンと来ておらず。正直、効果測定について考える部分が一番しんどかったですね。「測定した結果、このアプローチでは有意な結論が出せなかった、という結びになったとしても、一つの研究成果として人類の進歩に寄与するはずだよ」と赤松さんにアドバイスいただいたのをよく覚えています。

赤松: 最初の構想から既に数年が経っていて、技術の発展はもちろんのこと、人々の意識や社会の構造も変わりました。そのような変化を経ても色褪せない普遍的な意義や主張がこの研究にあるとすれば、それは何と答えますか?

守下:「身体で遊ぶ」ことに秘められた可能性は、今後も主張したいし探っていきたいですね。「くだらない」と言い捨ててしまえばそれまでですが、やっぱり知り合いが変なポーズや動きをしているのを見るのは面白いし、旅行先で「顔ハメパネル」を見かけたらついついやってしまう。そこには当事者同士でしか共感できない独特な現実感(リアリティ)があって、「誰でも笑える面白いコンテンツ」があふれるスマホ社会であっても、そういう「内輪の笑い」には普遍的な価値がありそうです。
今日のこのインタビューの間に、Apple Vision Proの「空間ペルソナ」機能を使って「寝そべってみる」や「椅子人間」みたいなことをして盛り上がったのも、まさしくそういうことですよね。赤松さんのお茶目さと、僕の軽薄さ、そして撮影者としてお付き合いいただいた北村さんによるおもてなし。これらの掛け合わせによって生まれた即興セッションとしての遊びでしたが、こういうのが僕の大好物なわけです。大人も子供も、話す言葉すらも関係なく、ひとまずその場の楽しさを共有するためのインターフェースとしての「身体」。今後もその可能性を地道に追求していきたいです。

小さな宇宙

赤松: 少し話題を変えて、研究以外の学生生活はどうでしたか?

守下:僕たち19期生の入学式で、三輪前学長が送ってくださった祝辞の中に、「IAMASは小さな宇宙」というフレーズがありました。同期の間ではこれが印象的なワードとしてよく引用されていて、IAMASでの学生生活を表す言葉として、個人的にもとても好きなフレーズです。解釈の仕方は様々あると思いますが、僕の理解としては「中心とは少し離れた場所で守られながら、多様に開かれた可能性と向き合える、修行の場」という意味で「IAMAS = 小さな宇宙」かなと思っています。
基本的には校舎と寮を往復しながら「学習」「制作」「談話」「研究」を繰り返す日々でしたが、特にかけがえなかったのは学生同士の「談話」の時間でしたね。このインタビューの序盤でも、「多様なバックグラウンドをもつ同期と言葉を交わす過程で自分の好きなことがよくわかってきた」旨を述べましたが、そのほかにも「芸術と呼べなくてもいいから”遊び”と呼べるものを作ろう」とか「”エンジニアリング”の考え方って肌に合うな」とか、同期との談話の中でいろんな「自分らしさ」と出会えたのが思い出深く、これらは現在の活動に深く反映されていたりします。

赤松:他の学生や教員、そして地域との関わりはどうでしたか?

守下:岐阜県や大垣市がIAMASと連携して取り組む事業として、地域の方々向けのアートイベントやワークショップなどを頻繁に提供していましたよね。作品の性質上、僕はそこに出展したり関わらせてもらえたりする機会が多くて、ありがたかったです。
学生と教員間の関わりも密だった印象です。赤松さんの「週末サイクリング」は特に、学生、教職員、付近に住む卒業生と交流する機会になっていました。特殊だったのは、在学期間中にCOVID-19のパンデミックが始まった、ということですね。未曾有の事態に対して、学生と教職員が協力しながらいろんな課題を乗り越えました。人数が少ない分、大きな大学組織に比べて小回りが効いたのが幸いでしたが、当時は卒展の実行委員長を任されていたので、ハチャメチャに大変な思いをしました。
卒業後は、同期や教員の方々と会う機会を意識的に作っているわけではありませんが、業務上のプロジェクトでバッタリ会ったり、展示会やカンファレンスで偶然遭遇することもあったりして、ゆるく長いつながりが維持できています。たまに、「僕もIAMAS卒だよ!」という先輩に出会うこともありますね。とてつもないシンパシーを感じて、分野が違う人でも一瞬で仲良くなれる感じがあります(笑)。

赤松:最後に在学生や未来のIAMAS生にメッセージをお願いします。

守下:AI技術の発展によって「表現」を取り巻く環境にパラダイムシフトが生じている昨今ですが、依然としてIAMASは、悩める表現者たちにとって「もがき、のたうち回るための場所」として機能していくのだろうと思います。学部時代の僕のように「このまま何者かになれるだろうか」と、自身の専門性のなさに悩んでいる人には、おすすめしたい「小さな宇宙」です。今後、AIクリエイティブツールやコーディングエージェントの進化によって、もがける範囲が無限に広がっていくのは、楽しそうな反面、収拾をつけるのにより一層苦労しそうですが…。応援しています!
また、AIに関するIAMASらしい議論には、卒業生として注目していきたい気持ちがあります。技術系の分野では安易に「AI礼賛!」となりがちな一方、一部の表現領域では大きな反発運動が生まれていて、歪な状況だなぁと思います。どちらの文脈も汲んだうえでなるべく中立に対話を行える場所の一つとしてIAMASがあるはずで、今後のIAMAS生の作品にはそういう議論の結果が少なからず反映されることになるのかしら、と楽しみにしています。制作や学習の過程で、僕が力になれるようなことがもしあれば協力は惜しみませんので、Xあたりから適当にDMを送って絡んでいただけると嬉しいです。

赤松:今回は久しぶりに話ができて良かったです。少し時間が経ったが故に感じることもありました。まさに現実拡張、イマココにあるシンタイ(心と体)の冒険が続きますね。今後の活躍に期待しています。ありがとう!

守下:こちらこそ、貴重な機会を頂き誠にありがとうございました!赤松さんのご退任前に、一緒に研究を振り返ることができるとは。久しぶりに自分のことを見つめ直せた、豊かな時間でした。今後の活動にもぜひとも注目していただければ幸いです。引き続き、よろしくお願いいたします!

Apple Vision Proの空間Personaにて撮影(音声はありません)

取材: 2025/06/14  オンライン

写真: 北村穣

PROFILE

GRADUATE

守下誠?ばいそん

xRエンジニア/2022年修了

1995年生まれ。九州大学 芸術工学部 首席卒。ope体育_ope体育app|官网[IAMAS] 修了。総務省 異能vation 異能β認定。xR 領域における「遊び」と「デザイン」を探求する偶蹄目。著書に「Apple Vision Proアプリ開発ガイド(技術評論社:共著)」。

 



INTERVIEWER

赤松正行

IAMAS教授

1961年兵庫県生まれ。クリティカルサイクリング。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了、 博士(美術)。インタラクティブな音楽や映像作品を制作、近年はモビリティとリアリティをテーマにテクノロジーが人と社会へ及ぼす影響を制作を通して考察している。代表作は書籍「Maxの教科書」、「iOSの教科書」、アプリ「意思決定 Free」、「セカイカメラ(頓智ドット)」、インスタレーション「ARアート?ミュージアム」、「タレスの刻印」 など。